日本におけるデザイン政策を振り返ると、その歴史は戦前から始まります。
そしてデザイン政策はデザインにおける課題解決という目的からスタートし、時代と共にデザインのあり方を提示していきました。
この記事ではそんなデザイン政策の歴史に関して、時代変遷とともに振り返っていきたいと思います。
- デザイン政策に興味がある方
- デザイナーの方
- 企業にデザイン経営を取り入れたい方
これらに当てはまる方におすすめの記事となっています。これを読めば日本としてデザインをどのように捉えていたのかはもちろん、これからのデザインのあり方に関してもわかりますよ。
〜戦前 商工省 工芸指導所の創設
工芸指導所とは1928年11月、仙台の商工省によって創設されました。産業工芸から伝統技法にわたるものづくりを広い工芸ととらえ、その研究や輸出復興が目的でした。
日本初の国立のデザイン指導機関としてG. ネルソン、 E. ソットサスといった著名なデザイナーを海外より招聘。ここから、秋岡芳夫や剣持勇、豊口克平ら日本を代表するデザイナーが輩出していきました。
機関誌「工芸ニュース」は国内外の最新デザインの動向や研究が紹介され、日本におけるデザイン誌の先駆けとなりました。
1950年代 通商産業省通商局にデザイン課が設置される
1958年には通商産業省通商局にデザイン課が設置されます。当時国際問題となっていたデザイン盗用問題の解決と、日本におけるグッドデザインの確立を目的としています。
このグッドデザインは現在のグッドデザイン賞の先駆けになっていて、外国デザインの模倣ではなく、日本独自のデザインの必要性を説いています。
現在のグッドデザイン賞の選定基準は以下の通りとなっています。
人間的視点 | 使いやすさ・わかりやすさ、親切さなどユーザーに対して然るべき配慮が行われているかなど |
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産業的視点 | 新技術・新素材など利用または創意工夫がされているかなど |
社会的視点 | 新しい作法・ライフスタイル・コミュニケーションなど新しい文化の創出に貢献しているかなど |
時間的視点 | 過去の文脈や蓄積を活かし、新しい価値を提案しているかなど |
1958年には「わが国デザインの問題点とその対策」という資料が発表されます。
これは優秀なデザインの国内製品があるのにも関わらず、輸出品のデザインが貧困であるという問題を指摘し、これまでの局面処理的なデザイン行政の転換を提起しています。
1960年代 デザインは企業経営に関わるものと定義/国際デザイン会議
デザイン課の設立後、デザイン課が中核となり政策立案を行うデザイン推奨審議会や、JETROデザインハウスが位置付けられます。
デザイン推奨審議会は1958年の発足から1997年の終了までの間に6回にわたり答申を行っています。
61年の答申では、デザインの問題をデザイナー個人の感覚に対する芸術的問題ではなく、企業経営に直結する問題だとしています。
また輸出復興のためには輸出品デザインの改善向上を行うべきという主張に対して、それを一時的なものにしないように国内市場の中でもデザインの見直しがなされます。
具体的なデザイン復興政策は以下の通りです。
- デザイン復興の中心的機関の設立
- デザイン教育の充実
- デザイン研修機関の設立等
- 官公設試験研究機関の充実
- 総合デザイン展の開催
- 意匠センターの助成強化
また1960年には、日本において初めての国際デザイン会議(WoDeCo)が開催されました。27カ国、200名以上のデザイナーや建築家が集い、勝見勝、坂倉準三、柳宗理、亀倉雄策、丹下健三らが中心となり、デザインの分野の違いを超えて討論を行いました。
討論はグラフィック、インダストリアル、環境の3分野に分かれて行われ、ハーバート・バイヤー、オトル・アイヒャー、ソール・バス、ブルーノ・ムナーリ、ルイス・カーンら巨匠たちも参加。
この会議で初めて日本においてデザインという言葉が社会的認知を得たと言っても過言ではありません。
1970年代 デザインの課題/世界インダストリアルデザイン会議
72年のデザイン奨励審議会答申では、デザインの活用が人間の物質的、精神的な諸要求を満足させる創造的な活動であるとしています。
この時代、デザイン向上の問題がまだ国民に浸透しておらず、比較的少数の直接的関係者の問題とのみしか把握されていない点が問題視されています。また、デザインの評価が最終的に消費者に委ねられていて、評価基準が定式化しづらいという問題もありました。
このようなデザインの多面的性格と効果測定の困難性といった問題に関して以下のデザイン復興政策が行われます。
- デザイン復興政策のシステム化推進
- デザイン復興体制の整備充実
- 試験研究体制の確立
- デザインの保全
- 国際交流の促進
また、デザインに関する認識を国民に浸透させるベク1973年にはデザインイヤーと呼ばれる啓蒙活動が行われました。
「第8回国際インダストリアルデザイン団体協議会総会」や「世界インダストリアルデザイン会議」の開催を核に、「日本人の生活とデザイン展」、「世界サイクルデザインコンペ」など全国的なキャンペーン活動が行われました。
「世界インダストリアルデザイン会議」では国内外から2,000名を超える関係者が参加しました。この会議では「人の心と物の世界」をテーマにデザインに関するさまざまな討論が行われました。
89年には名古屋でも実施。そして2023年10月には34年ぶりに東京で「世界インダストリアルデザイン会議」が開催される予定になっています。
1980年代 国民の要求は精神的なものへ/デザインの日創設
79年のデザイン奨励審議会答申では72年の答申同様、デザインは人間がより人間らしく生活していく創造的活動だと表現。
デザイン復興政策を行うことで、日本のデザイン水準を向上させ、豊かな国民生活を実現することができるとしています。
またデザイン復興策の対象は商品を作る人、使う人、これらを繋ぐ人であるとしています。つまり全ての産業、消費者、デザイナーが対象だということです。
具体的なデザイン復興政策は以下の通りです。
- デザインの重要性に関する国民的認識の深化
- 産業に対するデザイン復興策の強化
- Gマーク商品選定制度の充実強化
- 公共デザインの向上
- デザイナー対策の強化
- 国際交流の強化
- デザイン復興策のシステム的推進
- デザイン復興のための施設の整備
この時代日本は経済大国としての地位を確立しています。戦後からスタートした高度経済成長もあり、下記のグラフからも分かるように、この時代のGDPは平均4.37と高い水準となっています。
こうした影響もあり生活の基本的な需要は満たされていて、国民の要求は精神的なものへと変化していきます。
また89年のデザインイヤーをきっかけに、10月1日を「デザインの日」として制定されました。この10月1日というのは1959年のデザイン奨励審議会が10月1日にスタートしたことから制定されました。
デザインに関する重要性を考える機会を設ける日として、グッドデザイン賞の授与式やデザイン功労賞表彰式、シンポジウム開催やポスター配布などが行われています。
1990年代 経済と文化の融合であるデザイン
88年のデザイン奨励審議会答申では、デザイン活動が人間の物質的、精神的な諸要求を最も十分に満足させる調和のある人工的環境を形作ることを意図する創造的活動であるとしています。
また93年のデザイン奨励審議会答申では、デザインが人間の心の問題や感性、文化といった精神活動と結びついているとして、生活者の要望を適切に具現化することができる活動と表現しています。
つまりデザインは経済や文化を統合し、具体化することができる活動と言えるでしょう。
デザイン政策の基本的な視点として、国民生活のゆとりと豊さの確保、産業の活性化、デザインを通した国際社会への貢献があります。
国民生活のゆとりと豊さの確保
デザイン活動は先述したように感性や文化と密接に関わりあう活動であるため、地域の特色も生かしつつ、より豊かで実りあるものにするための手段として活用されることを期待されます。
産業の活性化
地域の産業や中小企業などの活性化のためにはデザイン活動が活かされるでしょう。
デザインを通した国際社会への貢献
デザインは経済成長を支援するために有力だとし、各地域の生活文化との融合を進める親和力を持っていると表現しています。
またこの時代にはデザインインフラが設備されます。具体的にはデザイン復興体制の充実化、創造支援拠点の設備の支援、デザインシティの育成、グッドデザインの推進など。
そして1998 年には、輸出品デザイン法とデザイン奨励審議会が廃止されました。さらにG マーク制度を民間の財団法人日本産業デザイン復興会(現・公益財団法人日本デザイン復興会)へ移管しデザイン政策の1つの節目を迎えることとなったのです。
2000年代 戦略的デザイン活用研究会
6回に渡り行われたデザイン奨励審議会に代わり、2003年に経済産業省が「戦略的デザイン活用研究会」を設立させます。
経済的情勢が厳しさを増し、産業間の競争力も激化される中、デザインに関する新たな対応策が望まれたのです。
この「戦略的デザイン活用研究会」の中で「競争力強化に向けた40の提言」が公表されます。これによりデザインがビジネス戦略に位置付けられます。
ブランド確立のためのデザインの戦略的活用支援 |
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デザインの企画・開発支援 |
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デザイン情報インフラの確立・整備 |
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意匠権等の権利保護の強化 |
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実践的人材の育成 |
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国⺠意識の高揚 |
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また2007年には「感性価値創造イニシアティブ」が策定されます。生活関連産業を中心とした競争力の強化のために制定されました。
また2008 年から 3 年間を「感性価値創造イヤー」と位置づけ感性価値の創造を推進していきました。
2010年代後半〜 デザイン経営
2017年、経済産業省と特許庁は「産業競争力とデザインを考える研究会」を設立し、デザインによる企業の競争力強化に向けた課題の整理を行いました。
翌年2018年には「デザイン経営宣言」が公表され、企業がデザインを重要な経営資源として捉えることの重要性を説いています。
「デザイン経営宣言」の中で、デザイン経営を「デザインを企業価値向上のための重要な経営資源として活用する経営」としています。
さらに、デザイン経営を行う際には以下の2つの条件が必要だと述べられています。
- 経営チームにデザイン責任者がいること
- 事業戦略構築の最上流からデザインが関与すること
デザイン経営が実践されると、ブランド力の向上とイノバーション力の向上が得られるとしています。
こうしたデザイン経営は今、多くの企業で広まっています。実際CDOを新設する企業やデザイン組織を拡充する動きが活発化しているのです。CDOとはChief Design Officerの略で、最高デザイン責任者のこと。
経営会議などに参加し会社のコンセプトをデザインで形にする存在のことを指します。
例えば株式会社八幡ねじは、ねじという製品そのもので差別化をしづらい商材を扱っているため、1996年にデザイン経営を取り入れ始めました。無駄を削ぎ落とすという方針で、パッケージのほか、企業ロゴなども一新していきました。
またTOTO株式会社はデザイン本部を社長直轄組織として位置付け、デザイン活用に関する意思決定を即座に行える体制をとっています。またそのデザイン本部内には人材育成のプログラムがあり他社との意見交換会や大学での講義などを行っているそう。
これらの企業はデザインの力をブランドの構築やイノベーション創出に活用した経営を行ったとしてデザイン経営表彰を受賞しています。
デザイン奨励審議会におけるデザインの変遷
デザイン行政が開始された当初は輸出促進とデザイン模倣対策といった課題があっため、それに対する対策を中心に提言されていました。
しかし、60年代後半にはこの問題は解決し、72年答申では輸出復興に代わるデザインの役割が提示されました。
ここではデザインは人間がより人間らしく生活できるものとしています。また79年にデザインが生活側から産業に働きかけるものだという表現がなされます。
その後88年答申では、デザインを供給者の提案に対して需要者に伝達する役割を担うとしています。またデザイナーに関してコミュニケーターという表現をし、一歩踏み込んだデザインの役割を提唱しています。
そして最後の投信となった93年答申では次世代を見据えた人材育成の仕組みが不可欠だと説いています。
まとめ
いかがでしたか。本日は日本におけるデザイン政策の変遷を時代とともに振り返っていきました。
60年代後半まではデザインに対する課題解決にフォーカスし提言がされていましたが、それ以降はデザインの役割に関してデザイン奨励審議会で定義されるようになります。
2000年以降は「戦略的デザイン活用研究会」が行われ、産業間の競争力も激化される中、デザインに関する新たな対応策が提言されましたね。
そして2010年代以降はデザイン思考が導入され、改めてデザインのあり方が見直されるようになったのです。